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そーだったのかスターウォーズ! ~偉大なモフ・ターキン(笑)~ [その他]

(昨年夏にテレビでのシリーズ連続放映を見たときの感想です)

スターウォーズ連続放映、昨夜はエピソード4を見ました♪美人すぎるじいさまを堪能… ああ、美しいモフ・ターキン!こんなにちょこちょこと出番あったんだね…。レイア姫に会うところと、最後のところくらいしか印象に残ってなかったですよ。

そしてそして、会議のシーンに加わっていた一人が、『ブラッディ/ドクター・ローレンスの悲劇』でカッシングの息子をやってた方なのを発見しました!そーかあ…。
今さらながら、ラストクレジットの出方を見ると、バリバリのラスボスだったんだなあ…と感慨が。(しかしいつのまにベイダーより立場が上になったんだ?エピソード3の最後で顔を出したときは側近ぽい雰囲気だったのに、今じゃ顎で使ってるぞ?(笑))
ともあれ、「Peter Cushing」と画面に一行扱いで出たときには、感激してしまいました。本編が終わったあとにNHKがくっつけてる写真つきのキャスト紹介にも、ちゃんと出てきたのが嬉しかった♪(やっぱあの人差し指をたてるポーズなんだな、ターキンは。でなきゃ自分の唇をさわってる横顔、ですよね♪)

たしかカッシングの自伝では、ターキンが一作目で死んでしまって、続編に出られなかったことを嘆いておられましたですよ。べつにキャラに愛着があるからじゃなくて、役者は食ってかなきゃならないから」
キャラについてはあんまりよくわかってなかったそうで、たしかクリストファー・リーのインタビューで、「(カッシングに)グランド・モフってなんなんだ?と聞いたら『私にもサッパリだ』と言われた」という話がありました。そんなもんなんでしょうね。(笑)デス・スターについては、冗談らしく別の名前のほうがいいという案を書いておられました。何語だかわからないので意味がわかりませんが。フランス語かな?とにかく「…むしろこのほうがいいと思ったけど、聞かれなかったから言わなかったヨ」ということでした。(笑)
撮影時のターキンの足元がスリッパだったことは前に書きましたね。そう思うと、ほんと見ていて頬がゆるみます。

…そういえば、少し前に「なぜグランド・モフが肩書きじゃなくて、モフ・ターキンで姓名とインプットしていたのか?」の謎が解けました。ブックオフで中古VHSを見つけて箱の裏書きを読んだら、役名が「偉大なモフ・ターキン」となってたんです…。Grand Moff Turkin。偉大なモフ・ターキン…あの作品だけ見るとラスボスだから、ありえない解釈じゃない。作中で「グランド・モフ」という肩書きが出てきたわけでもなかったみたいだし。レイア姫にもターキン総督(Governor Turkin)と呼ばれてましたよね、確か。(記憶違いだったらごめんなさい)だから日本の観客は、たぶんほとんどみんな「モフ・ターキン」だと思ってたんですよね。(それとも私の周りだけ?(^ ^;))
…とにかく制服もよく似合って、絵になる悪役っぷりでした。ごちそうさま♪

しかしエピソード順に見ると、たしかに印象が変わりますね。やっと全体のストーリーがつかめましたよ。(笑)
奥の深い会話がなされているのも、今まであんまり印象に残ってませんでした。
母を助けられなかったときの、アナキンの台詞…「次はしくじらない」。ここで彼はジェダイの道からそれるんですね。受け入れないでコントロールしようとする。それができると信じる。これって「アメリカン・ウェイ」が美徳としてきたことじゃないか。それを暗黒面として描いているのは、アメリカのポピュラー映画ではたしかに画期的なのかも。そしてヨーダの台詞…「心を鍛えて、失うことの恐怖を捨てろ」。なるほどなあ。たしかに仏教的な思想なんですね。

でも、アナキンとダース・ベイダーにはやっぱり格差があって、ベイダーが同じ人物の後年の姿とは見えませんでした。ボディ・ランゲージがかなり違うんですよね…ベイダーはかぶりもので表情が出せないためか、オーバーアクションになるので。これはエピソード3で、ベイダーのマスクが装着されたあとの動作でも感じました。ここからいきなり「ダース・ベイダーの身振り」になっていて、もうアナキンとは別物になっている。ここのベイダーが「アナキンの身振り」でいてくれたら、もうちょっとスムーズに印象がつながったと思うんですが。もしくは、ダークサイドに落ちたあとのアナキンが、ちょっとだけベイダーっぽい仕草をするとか。(うーん、でもあれはあれでナイーブなキャラが成立しちゃってるからなあ…後付けの難しさですね)

ただ、頭のなかではつながりを理解しているので、エピソード4(やっぱ「一作目」というほうがピンとくるなあ…)の冒頭、ベイダーとレイア姫が対面するところは、じつはすごいドラマチックなシーンなんだなあ、とは感じました。感情的にでなく、あくまで頭で感じただけですが…。要約すると「ベイダー一家」の話なんですね、スターウォーズって。

ベイダーに比べてびっくりしたのが、オビ・ワンがちゃんと「同じ人物の老後」に見えること!顔の形も声も違うんですが、キャラクターとして同じ人だ、というのが感じられる。特に目つきとか。これはすごい。すごいぞユアン・マクレガー
ボバ・フェットがチラッと姿を見せたところも(たぶん後付けだと思いますが)ぐっときましたですねえ。こーいうのは、続けざまに見るとわかりやすい。彼の父親のジャンゴ・フェットはすごくハンサムだったから、ジャンゴが細胞を提供したクローン軍団は、まるで帝国のハーレムに見えましたですよ。(笑)…ところで、帝国軍の兵士はアーマーのデザインがエピソード3とは違うのですが、あれはもうクローン軍団じゃないということなのかしら?中身が全部ジャンゴの顔だと想像すると、白兵戦シーンも楽しいんですが。(笑)たぶん映画以外のスピンオフ作品のなかで、エピソード3から4の間の話ってやってるんでしょうね。ターキンの出世物語もあるんだろうか。うーん、知りたい…。(笑)

…しかし、考えてみるとこの世界のドロイドは機械にしては長生きですね。精密機械ほど壊れやすくて、基本のOSも数年ごとに交代して、前のが使えなくなる…という今の感覚で見ると、テクノロジーの進歩がゆっくり(というかほとんどない?)なのも、すごく古いマシンを修理して使えるのも、むしろレトロな感じ。コンピューターというより、古い車を整備し直して動かすみたいな感覚なんですね。ジャンクの山から使える部品を探すとか、そういう世界。楽しそうだなあ…。


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